今日は、生前の父の講演で、唯一映像の残っている講演のDVD特別上映会。
- お知らせ
今日は、生前の父の講演で、唯一映像の残っている講演のDVD特別上映会。
亡くなって10年目、父が創立した東林館高等学校が開校20年を迎えることを記念して今回企画しました。
母と妹も来場してくれました。
私が生まれたとき、父は中学校の体育教諭、母は特別支援学校の教諭と、教育者に育てられ、「教育」というものが生まれながらに存在し、人生の傍らにいつもありました。
庄原市立 高小学校で教諭としてのキャリアをスタートした父は、1年後には当時荒れていた福山市内の中学校へと転勤になります。
福山市立 向丘中学校・誠之中学校に赴任し、城北中学校での勤務を最後に、自分が本当に追求したい教育は公務員ではできないと、公立学校の教諭の職を突然退職。
小さなマンションの一室を借りて、非行少年・少女に関する相談業務を始めました。
そんな相談業務を日々こなしていく中で、当時、登校拒否(のちに不登校)と呼ばれていた子ども達の相談を受けるように。
自分が本当に救わないといけない子ども達とはこの子達なのではなかろうかと自分の使命を感じ、不登校の子ども達を専門支援する私立高校を立ち上げます。
多くの不安を抱える子ども達を救い続けてきました。
しかしながらそんな中、開校10年目を迎えたとき、突然病魔が父を襲いました…。
胃ガンが発覚。
見つかったときには転移もあり、すでにステージ4でした。
「絶対にワシはガンなんかに負けるか!」と完治を目指し闘い続けました。
父は最後まで完治させるという強い意思で立ち向かいました。
しかしながら亡くなる3日前、主治医の先生から、私と母が呼ばれ、
「申し訳ありません。もう手の施しようがありません。あとは痛みを取るだけの処置になります。明日からモルヒネを投与します。きちんと話ができるのは、今夜が最後だと思っておいてください。」
と伝えられました。
私は、息子として、父から最後の言葉が聞きたかった…。
父が私に言い残したいことはなんだろうか?、それを聞きたかった…。
でもそれを父に聞くことは、まだ生きることを諦めてない父に、「あなたはもう助からないんだ」と告げることに等しい…。
本当に葛藤しました。
目の前にはまだ諦めてない父が確かにいる…。
しばしの時間のあと、覚悟を決めました。
「父さん俺に何か言い残したいことはあるか?」と尋ねました。
その瞬間、ガンの末期症状の激しい痛みで顔を歪めていた父が、笑顔を作り、こう私に言いました。
「大丈夫。大丈夫じゃ!お前はワシの息子じゃけぇ。この街の子ども達のこと頼むど。」と。
それが父と生前、最後にきちんと交わした言葉でした。その言葉が私の全て。
終末ケアで三日前から打ち始めたモルヒネ。
実は、入院していた病院中のモルヒネをかき集めて投与しても足りず、福山市内の医療機関からかき集めたモルヒネでも足りず、近隣の市町の医療機関からかき集めたモルヒネでも足りず…。
主治医の先生も困り果てていました…。
主治医の先生から、
「普通の人なら、この量のモルヒネを打ったら、一瞬で亡くなります。」
と言われました。
大量のモルヒネを投与しているにも関わらず、父は意識があり、痛みを訴え続けていました。
その父の最後の姿は、私の目にしっかりと焼き付いています。
私には、父のその姿は、子ども達のためにまだまだワシにはやり残したことがあるじゃ!という父の心の叫びだと感じました。
仏教では人は二回死ぬと言われています。
1度目は肉体の死、2度目は誰もその人を語らなくなったとき。
父は54歳の若さで、太く短い肉体の人生を終えました。
しかし、私の胸で父は確実に生きていて、その父の想いと共に、そして支えてくださっている多くの仲間たちと共に、今日の会を催せ、ご来場いただいた方々と父の生き様を共有できたことが何よりも幸せです。
子ども達の未来を信じ、未来を創り出すために人生を捧げた父の様に、これからも引き続き子ども達のために、私も人生を捧げていきます。
本日、時間を共有してくださった皆様、本当にありがとうございました。
そして、この会に本当に大きなお力を貸してくださった、父の教え子であり、広島県議会議員の村上栄二先生。
本当にありがとうございました。
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